積読ですよ!真塚さん

なにもわからない。

書籍購入『ゲーデル、エッシャー、バッハ』

そういえば昨日、本を買った。
せっかく「積読ですよ!」などというふざけた名前をつけたので、書籍購入の記録もつけていこうと思う。

ゲーデルエッシャー、バッハ あるいは不思議の環』
ダグラス・R・ホフスタッター
野崎昭宏 はやし・はじめ 柳瀬尚紀=訳

柳瀬尚紀が好きなので知ってはいたけど、今まで巡り合いがなく手にしていなかった。
現在は20周年記念版が出ているようだけど、今回見つけたのは1985年7月25日 第一版第八刷。
第一刷発行が5月15日なので、二ヶ月で八刷もしたんですね…。

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ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

「週刊クレヨン王国」その3『クレヨン王国いちご村』

週刊クレヨン王国 その3『クレヨン王国いちご村』Add Star
講談社青い鳥文庫20-3
クレヨン王国いちご村』著:福永令三、絵:三木由記子、解説:宮崎芳彦 

クレヨン王国 いちご村 (講談社青い鳥文庫)

クレヨン王国 いちご村 (講談社青い鳥文庫)

 

 

 

 【概要】


1983年 第1刷
1986年 児童文学創作シリーズとしてハードカバー版
2013年 新装版(絵:椎名優)、Kindle

クレヨン王国」シリーズ初の青い鳥文庫書き下ろし作品にして、初の短編集。

 

【もくじ】

はじめに
レールの中のスミレ
バスにのったクマ
ヘチマの主人
北風フーと青空スー
ブタ別荘
おかしな修学旅行
ラッパふきのエンゼル
野原のひっこし
ドングリのかくれんぼ
花びらの旅
水色の自転車
いちご村
あとがき
解説

 


懲りずにクレヨン王国の感想をだらだらします。

本作は短編集となっていて、12の独立した物語を、「はじめに」「あとがき」で挟んである。(「はじめに」「あとがき」は著者からの序文・跋文ではなく、あくまでおはなしの一部です)

12のおはなしは、12色のクレヨンが語る物語。

それを「はじめに」と「あとがき」に登場する、盲腸で入院している少年が、おばあちゃんが差し入れてくれた12色クレヨンたちが話しているのを夢の中で聴く、という体裁をとっている。


クレヨン王国をつらいつらいとうるさいこの企画ですが、本作はこの時点でもうちょっとつらいです。
入院したけど他の家族は旅行に行っているため、お見舞いにはお祖母ちゃんしか来ない。
お祖母ちゃんは12色のクレヨンを差し入れに持ってきて、お母さんが入院したときはクレヨンがお話してくれたんだって、と教えてくれる。
それを聞いて少年、「おばあちゃんはお母さんのときと同じにしたいんだな」と察し。
その場では特に何も云わずに受け取ったけれど、夜、ほんとうに夢の中にクレヨンたちが現れて……という寸法。

いや、あの、なぁ。
「おばあちゃんの話を信じてワクワクした」でも、「そんなことあるもんか、と信じなかった」でも、いいじゃん。むしろそのほうがわかりやすい。
どーして「ああ、お母さんのときと同じにしたいんだな(察し)」なんだよ!

 

さて、個々の話を見ていきましょう。

エピソードによってあからさまにコメント量ちがいますが、ご了承のほどを。

 

【レールの中のスミレ】 むらさきクレヨンの話

主な登場人物は、線路の下敷きにされているガレ石のおじさんたちと、その真ん中に咲く幼いスミレの花。
ガレ石であるおっさんたちは、彼らの真ん中に一輪だけ咲いた小さなスミレを可愛がって心の慰みにしていた。
スミレも背が低いため線路の外は見えず、その小さな世界で満足していた。
ところが、ある日やってきた蝶が
「向こうの河原には他にもスミレが咲いているのにこんなところで一輪で可愛そうだね」
などというものだから、スミレは外の世界が気になって仕方がない。
石ころのおっさんたちにしてみればまさに「悪い虫がついた」といったところ。
可愛いスミレの願いは叶えてやりたいが、唯一の心の慰めを手放したくない、どこにも行ってほしくない、とも願う。
………………………………………………
これゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』じゃねーのか、と思わなくもない。
最終的にめでたしで終わるところは青い鳥文庫の世界ですが、石のおじさんたちはスミレを外の世界に連れ出す計画を立てながらも、心の底ではスミレがやっぱり行かないって言わないかなぁとか、計画が失敗しないかなぁとか考えてる。人間そういうところあるよね(人間じゃないけど)。

最終的にめでたしで終わるところは青い鳥文庫の世界ですがでもトップバッターにこんな話を持ってきたのはなんでだ?
そもそもガレ石のおじさんたちの「岩場で割られて運ばれてきたから皆病んでいる」って設定がつらい。


【バスにのったクマ】 黒クレヨンの話

山奥の路線バスの運転手のおっちゃんがクマの親子と仲良くなって一緒に遊ぶという、
それだけの話なのだけど、その路線バスに他に客がいないことの理由づけに
「新トンネル開通に当て込んで出来た路線だが、トンネルがまたぐ県境のあちらとこちらで合意がとれず、工事自体が頓挫したため結局何処にも通じず山の上に行って帰るだけで乗客もほとんどいない」
なんて設定、いりましたか!いりましたか!?………つらみ。
恐らくは、福永先生のお住まいの地域にモデルがあるのでしょうけれども。


【ヘチマの主人】みどりクレヨンの話

面長なのを気にしている少年が主人公。
細長いといわれるのはまだマシだが、長細いといわれるのはイヤだ。長いほうが主みたいだからだ。
そんな彼が、スイカの種かと思って育てはじめたのがヘチマだった。
初めはヘチマなんて嫌だと思っていたけど、ヘチマに話しかけられおしゃべりをするうち、どんどん好きになっていく。
次第に自分の面長も受け入れてゆく。
いい話。
………………………………………………
ところで話の筋とは関係ないのだけど、ぼくはこの話を「細長いと長細いのちがいにこだわる男の子の話」として覚えていて、
ヘチマのほうは忘れていたくらい。
言葉にこだわりのある子供というのがどうやらぼくは好きらしく、そういえばリンドグレーンの「名探偵カッレくん」でも、
冒頭でカッレくんが「疑問の余地なし」という言葉を気に入ってるシーンがあった(「血液!疑問の余地なし!」でしたっけ?うろおぼえ)し、
いつ何処で読んだかはさっぱり覚えていないけれど、全国小学生ナントカ作文傑作選みたいなもので、「いたしかたない」という言葉を覚えたばかりの女の子が、
隣の部屋での両親の夫婦喧嘩を聞きながら蒲団のなかで丸まって「いたしかたない」と唱える、というのが印象に残っている。


【北風フーと青空スー】 青色クレヨンの話

跳ねっ返りで居場所のなかった風の少年が、青空の女の子と出会って、ちょっと危険に立ち向かって、大人に認められる話。
これ一本で長編になってもいいくらいの良いボーイ・ミーツ・ガール冒険もの。


【ブタ別荘】 はだ色クレヨンの話

さて重い話がきますよ。
………………………………………………
宏くんはおじいちゃんの使っていない別荘を借りようと山奥に入っていくが、
たどり着いた別荘はブタたちの民宿になっていた。
ここにいるのは、食肉として卸されるのが嫌で小屋やトラックから逃げ出してきたブタたち。
ホテルの支配人(支配豚?)は麓の五作じいさんに飼われていたという。
ブタたちは言う、

「ところで、みんなを代表して、一つあなたに聞きたい。いったいわしらは、あんたの食料ですか?えさですか?それだけのもんかな?さあ、ぼっちゃん、こたえなさい。」

「さ、いってみなさいおまえたちは、ただのえさだ、と。ね、そうなんでしょう。」

「人間はふしぎな動物だね。あんなにかわいがっていたのに、お金のためにへいきで売ってしまう。売ればころされることはわかっているのに。人間はなによりお金がすきだ。長いあいだ、わたしは人間がどうやってお金を食べるのか、わからなかった。」

支配ブタの玉光は、自分を世話してくれた五作じいさんに感謝しながらも、

「ああ、恩返しがしたい。じいさんのやくにたつことならなんでもしてあげようってちかったもんだ。けれど、やっぱり、死にたくはないからなあ。おれはじいさんの手にかみついてにげてきたんだ。あの手によう。」

「ブタは、つらいよ。ブタの心は、ふくざつだよ。いちばんすきな人が、いちばんこわい人なのだ。育ててくれた人が、ころそうとする人なんだ。そんな世界、にげだすよりほかに、どうしようがある?あんたが、ブタなら、どうする?ぼっちゃん。」

それで玉光は死にたくなくて逃げ出したけれど、逃げたのは悪かったと思ってる。五作じいさんに損をさせた。
だからこうして民宿でお金を稼いで、自分を売って稼げたはずの分をおじいさんに渡そうと決めた。つまり自分を買おうと考えたのだ。
その話を聞いて、宏くんも涙ぐんでしまい、そのまま民宿に泊まることになってしまった。
宏くんは玉光の気持ちに感動し、ぜひ五作じいさんに伝えなくちゃ、と思う。麓まで戻って、今あったことを説明した。
五作じいさんも玉光のことを覚えていて、走って別荘に向かう。
けれど、もはや別荘のなかには誰もおらず、ブタの民宿だった跡のない。
追手を恐れてあわてて逃げたのだ。
………………………………………………
なにこれちょっともー。

「いちばんすきな人が、いちばんこわい人なのだ。育ててくれた人が、ころそうとする人なんだ」

珠玉の名文句ですよ。

動物が人間を糾弾するという構図は児童書でもしばしばある。たとえばぼくの印象に強いのは、和製ドリトル先生である『ぽっぺん先生』シリーズで動物に裁判にかけられるシーンだ。動物たちがぽっぺん先生を人間代表として、動物を大量に殺している罪で糾弾する。ぽっぺん先生は人間以外の動物だって他の動物を殺すじゃないかと抗弁するけど、人間は殺すために家畜を育てるし、食べるためでも生きるためでもないのに狩りをするから他の動物とは違う、と反論は退けられる。

本作のすごいところは、ブタのほうは必ずしも人間を憎んでいるわけではないというところだ。自分たちは家畜、奴隷に貶められていると憤っているだけじゃない。

他のブタたちはそうかもしれないけど、少なくとも支配ブタの玉光は育ててくれた五作じいさんに感謝しているし、好いてもいる。でも、殺されたくはない。福永先生が意図したとは思えないけど、児童虐待を連想するといってもそこまで飛躍はしていないだろう。

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の「好きって絶望だよね」という言葉も彷彿とさせるが、そこまで諦観してはいない。自分が生きることまでは諦めてはいない。とはいえ命の危険から逃れたからと終わりにするではなく、きちんと清算をしようとしている。自分で自分を買い取るという決意は生半可ではない。

そしてたとえ玉光と五作じいさんの気持ちが通じあっていても、ラストで感動の再会とはいかない。12編の中でも随一の奥深さがあると思う。


【おかしな修学旅行】 白クレヨンの話

(この話が最初に発表されたのは1983年です)
………………………………………………
国鉄のひとから「修学旅行用自由乗車券」をもらったので、
小田原にあるモンシロチョウの学校の2クラスが富士山に修学旅行に行くことになった。
この2クラスは先生同士をはじめとしてお互いをライバル視していて仲が悪い。
国鉄の電車に乗れるというので皆はしゃいでいるけど、片方のクラスはもう一方のクラスに勝とうと新幹線に乗ってしまう。
当時、富士山の近くに停車駅はない。
先生は、わたしたちは人間ではなくチョウなんだから、富士山が近づいてきたら窓から飛び出ればいいんだ、と言う。
当然だが新幹線の窓は開かない。いろいろあるうちに静岡駅でも降り過ごしてしまう。
そのまま次の浜松駅で降ろしてもらうが、この無料券は普通列車にしか使えないので特急料金分は無賃乗車ということになる。
けれどチョウなので人間のお金をもっていない。浜松のウナギ養殖場で餌やりの仕事をして返すことになった。
ちゃんと普通列車で行ったほうのクラスは「お前らがバカやってるあいだにオレたちは修学旅行もしたし普段の勉強もすすんでるよ」と笑う。
一方で浜松のウナギ養殖場のクラスも「普通の勉強なんかより養殖場のほうがおもしろいよ」と相手のクラスを笑う。
けっきょくいつまで経っても意地を張って相手をバカにしつづけるチョウたちなのだった……。
………………………………………………
83年の発表なので国鉄です。
いや、うん、あの、こんなこというの何なんですが……
メルヘンなファンタジーなのか、リアルにシビアなのか、どっちだ。
・「国鉄はチョウに修学旅行用無料券くれる」けど、
・「チョウだから途中で飛び降りればいい」けど
・「新幹線だから途中で降りられない」けど
・「特急料金は払わなきゃいけない」けど
・「チョウだから人間のお金もってない」けど
・「チョウたちはウナギの養殖場で働いて返す」
……って、なんなんですか。なんなんですか。
毒っぽさはあまり感じないものの、虚実の境をどこに置くかの見極めが絶妙すぎて変な気分になる。

「ぼくらは人間じゃないんだ、駅なんか関係ないだろ」

なら最初から乗車券いらないだろ!というツッコミはあまりに野暮だろうか。

 

【ラッパふきのエンゼル】 黄色クレヨンの話

エンゼルは観光地の湖にある遊覧船の、その船首にいる。
船に危険が近づくときにラッパを吹くのがそもそもの仕事だが、観光地ではそんなことはない。
昔は本物の船で世界中の海を回った。お月さまとはその頃からずっと友達。
月は気分屋で、丸いときはやさしく大らかな紳士だけど、やせ細ってくると気むずかしくなって無理難題を言ってエンゼルを困らせもする。
エンゼルに他にも鳥たちなど仲良い友達がいるのが月には気に食わないし、鳥たちは空に浮かぶ大きな月を恐れている。
双方の誤解はいくら諭してもいっこうに解けず、エンゼルは板挟みの状態。
月も鳥たちも、エンゼルのラッパの美しい音色を聞きたがる。けれどエンゼルは、ラッパは危険が迫るときしか吹いてはいけないからと、いつも断っていた。
月は怪しむ、
(エンゼルは本当に友達かな。友達の頼みなら聞いてくれそうなものなのに。夜は俺となかよくしてるけど、昼間は鳥たちと仲良くしてるというし……)
あるとき、鳥たちは羽があるからという理由で自分たちの代表としてエンゼルを選んだ。
エンゼルは辞退するが、選挙で選ばれたら断れないと鳥たちは言う。夜、鳥たちは新しい代表となったエンゼルのもとに集まった。
ちょうどそこに月がやってきた。
そのとき月は真ん丸に光っていたけれど、鳥たちと仲良くしているエンゼルを観た瞬間、連れて行ってしまおうと決心する。
月は「ぼくには、きみがいつも必要なんだ」と、ぐんぐんと湖に近づく。エンゼルは「いかない」と断る。
月は「きみは、ぼくのたった一人の友達なんだ」と泣きながらどんどん降りてくる。
きみの姿が見えない、ラッパをふいてくれ、そうすればきみの居場所がわかるから、と
鳥たちは半狂乱になりながらも「吹いちゃいけない!」という。エンゼルを連れて行かれてはたまったものではない。
どんどん月は迫ってくる。このままではぶつかって湖がさけてしまう。今やみんな「ふいてくれ!」と懇願する。
エンゼルはラッパをふいた。月はエンゼルをみつける。
鳥たちは「逃げろ」とさけぶが、月はしっかりとエンゼルの手をにぎって空に戻っていく。
翌朝、人間たちは遊覧船が姿を消したことに大騒ぎするのだった。
………………………………………………

嫉 妬 !

気分屋で気難しいお月さまは、やさしくて仲良くしてくれるエンゼルくんにぞっこんだけど、彼は人気者なので他の奴らとよく一緒にいる。そういうところを見ると、どうしても自分だけのものにしたい!と思っている。
マジかよお月さま。いじましすぎる。

エンゼルにもお月さまにも人間的な性別は設定されていないけれど、いちおう言い添えておくと、前述のとおり一人称は月が「おれ」、エンゼルが「ぼく」です。


【野原のひっこし】 きみどりクレヨンの話

主人公は野原です。
いや野原さんという人物とか、擬人間化された野原ではなく、野原という土地そのものが主人公。行く先々でたいへんな目にあい、転々と移っていく野原とそこに住む草花や虫たちの話。
ある日、右と左の両隣にできた工場のせいで、草花や虫たちは大きな音と煙に苦しみだした。
みんなの抗議をうけて野原が話しに行くと、工場たちは
「自分は社会の役に立つものをつくっている。それで野原は何の役に立つ?何か価値があるのか?」と取り合ってくれない。
しかたなく野原はみんなを連れて引っ越すことに。
で、川べりに引っ越したらゴルフ場をつくるから立ち退けといわれ、
市立公園内なら安心だからといわれて越したら野外ホールをつくりたいからやっぱり移ってくれと云われ
もういっそ人のいないところがいいと山奥に移り、ようやく静かな生活を取り戻したとおもったらダム建設が決まる。
引っ越さず昔の場所にいればよかった、昔の場所に戻れないかと、残った仲間たちに手紙を出したけれど、どれも「宛先不明」で帰ってきてしまう。
もうみんな一緒に湖に沈もうかと落ち込んだが、最後に、新聞広告で引越し先を探してみることに。
すると全国の子供たちから、うちの庭の分だけでも、屋上の分だけでも、虫の一匹だけでもいいならと、トラックに積みきれないほどの手紙が届いた。
野原は子供たちの手紙を、暗くなるのも気付かずいつまでも読みつづけた……。
………………………………………………
福永先生なので自然賛美、また人間の開発に対しては批判的なわけですが、最後はイイカンジにまとまってるけど、これもけっこうズンとくる話です。

ゴルフ場では飛んでくるボールのせいで、花は頭を折られ、てんとう虫は潰されて死んでしまうし、市は「誠意と責任をもって草木を保全する」といいながら
殺虫剤をぷしゅーして「草木はともかく、昆虫はやっぱり、病気の原因になるし。隣のバラ園に入られても困るから」とかいうし。

引越のとき、市長さんが「自然保護が緊急の課題となっている昨今、野原さんを失ってしまうことは実に残念でならない」と挨拶をしたり、人間のすることなすことに冷笑的。
あんまり自然賛美一辺倒で人間批判がつづくとちょっと鼻白んでしまうことも多いけど、今作についてはひたすら野原さん(と草花と虫たち)可哀想だなぁと思ってしまうし、
子供からの手紙をいつまでも読んでる野原さんのことを想像すると泣けてきてしまう(野原さんがどうやって手紙を読むのかはわからないけど)

 

【ドングリのかくれんぼ】 茶色クレヨンの話

舞台は動物園。
いつもなんとなくみんなに軽んじられているドングリが、みんなに迷惑をかけているのに好かれているキツネにその理由を聞くと、
「呼ばれても隠れてればいい。探されるってことは必要とされてるってこと」と教えられる。
そうか今まで自分は手間のかからない優等生すぎたんだな、と納得したドングリは、次の集合のとき、呼ばれても出て行かずに隠れていることにした。
すると、いつもはみんな口にしないドングリの悪口が、出てくること出てくること。テープレコーダーに録音しておけば……!とドングリは歯噛みする。
そのあと茶色クラブという、動物園の茶色い動物たちの会合でも、ドングリは隠れていた。今度はレコーダーを持って。

会合の内容はロバの誕生日について。
皆がそれぞれプレゼントを渡すが、あんなドングリでもいないとプレゼントが減るんだからロバが可哀想、と誰かが言った。
ロバは笑いながら「要らないよ、あいついつも肩叩き券とおつかい券が一枚ずつだもん」という。
隠れながらドングリは震えていた。今年は金紙と銀紙の肩叩き券とおつかい券を二枚ずつ用意していたのだ。

そもそもどうしてドングリがこのクラブにいるんだよ、動物でもないのに、と彼らは笑っていた。
すぐ飛び出していってもよかったのだが、ドングリは録音を溜めてからみんなを驚かせてやろうと思ってじっとしていた。

「ドングリの気もちは、じいっとうずくまって、きき耳をたてているあいだに、だんだんどくどくしく、うらみぶかいものにしずんでいきました。
つぎの日も、つぎの日も、ドングリは、それがしゅみのようにテーブルの下でくらい目を光らせて、じぶんのわるくちを待ちかまえていました。
運よくわるくちを録音したときはうれしく、だれもなんともいってくれないときは、えもののとれないりょうしのようにがっかりするのでした。」

 
そしてある日、今こそ飛び出す時だとドングリが駆け出そうとしたとき、体がびくとも動かなかった。
ずっと暗いところにじっとしていたので体から根が生えてしまったのだ。
………………………………………………
やめてー。
もうゆるしてー。
もう苦みとつらみしかねーよこんな話。

あまりに破滅的な話だと思う。

ドングリに対して嫌なヤツで自業自得だと思う人もいるでしょう。たしかに怨みやすいタチで嫌なヤツだし自業自得ではあって、隠れてひとを試すようなことをしてはいけないと、怨むことを諌めていると捉えることはできる。

でもぼくは終始ドングリの視点で語られる物語に、全部ドングリが悪いとは言えない。少なくともドングリは初めは善意の持ち主だった。ただ善良すぎて疑う心がなかったがゆえにキツネの話を真に受けてしまい、そのキツネにもまんまと裏切られた。

その後怨みの心を自ら育ててしまったのはドングリの良くなかったところだが、踏みつけにされた者にそれでも正しくあれ、あらねばならないと説くのは酷というものではないか。

そんなことを考えると鬱々としてくる一篇です。

 

【花びらの旅】 もも色クレヨンの話

桜の花びらが、海が見たいと川の流れに身を任せて下りながら虫や鳥たちとふれあっていく。
とてもきれいで穏やかなおはなし。
………ついやす言葉は少ないですが、いいお話ですよ?
ちょっと周りのインパクトが強すぎるので箸休めな感じで、ね?

 

【水色の自転車】 水色クレヨンの話

海辺の民宿では貸し自転車もやっている。
一番人気は水色の自転車だ。主に14歳くらいの少女たちに人気で、なかでも「よしえさん」という女の子が水色の自転車はお気に入りだ。
ある日、いつもの時間によしえさんが借りに来ないので、水色の自転車はこちらから迎えにいってみることにした。よしえさんは近くの別荘に来ている。
浜辺を走っていると、海の中から呼ぶ声がした。カレイだ。カレイもよしえさんのことが好きで、会いに行きたいと思っていたのだ。
自転車は生臭くて嫌だなとおもいながらよしえさんの別荘まで走る。
カレイを紹介すると「カレイ、だーいすきよ」というよしえさん。カレイは照れる。
よしえさんは「ちょっと待ってて、逃げないでね」と別荘に戻り、鍋とフライパンを持ってきて「どっちがいい?」

「よく来てくれたわ、大歓迎よ。わたしまだ食事前なの」

「ぼくは、小エビをたべてきましたから、どうぞ、おかまいなく」

水色の自転車には、これからおきようとしている悲劇の意味がよくわかりました。

食べられるから逃げろと言ってもカレイはなかなか信じないが、よしえさんが友達とムニエルにするか煮付けにするか相談しながら戻ってきてはどうしようもない。
カレイは必死にサドルによじ登って早く早くと急かす。

水色の自転車、ゆるやかにペダルを回しました。全速力で逃げるというほどの気もちにもなれず、サドルの上にほとんどへたばっているカレイをいまいましく思う気もちも前と同じことでした。


よしえさんは戻ってみたらカレイがなくなっているのでふくれてしまう。
「急にどうしても帰るというので」「泣いてるみたいでしたよ」と水色の自転車がいうと、よしえさんは

「なんでなくひつようがあるの。」
と、少女は。まるい目でといかえしました。
「いつも水にぬれているものが。」

………………………………………………

ひと夏のなんとやら……なんて甘酸っぱくない。
無理解。愛する者からの圧倒的無理解。
自転車やカレイがしゃべって人間と仲良く会話するのは不思議でもなんでもないってファンタジーなのに、

カレイは人間にとっては食べ物でしかないってリアルさ加減はなんなんですか。
ブタ別荘が「どうせ餌としか思ってないんでしょ?」と問い質されて返答に窮する話なのに対し、
この話はあまりにも無邪気に「餌としか思っていない」ことを突きつけられて絶句する。
またそれを嫌々ながら助けてやる水色の自転車の心情たるや。
この小話の題にもなっているのに、自転車は実質的には自分のためには何もしていない。
カレイを連れて行って帰っただけ。ただの運び屋の仕事しかしていない。けれどとても重要な役割だ。
カレイを逃してやるときの自転車の複雑な心情が味わい深い。


いちご村】 赤クレヨンの話

クレヨン王国のゴールデン14世は、立派な王様だったけれど、ふざけすぎるという欠点があり、
みんなからは「うそつき国王」と呼ばれていた。
王様にしてみれば、何を言っても「おっしゃるとおりです」など5,6種類の返事しかしない大臣や家来たちにうんざりしていて、
なんとか驚かせて本当の素顔を見たいと思っていた。
あるとき、王様は突然「砂漠にイチゴ狩りに行く」と言い出す。
大臣たちはもう慣れたもので、うまく調子をあわせて、美味しそうに「砂漠のイチゴ」の話をする。
王様は、実際にイチゴ狩りに行けば嘘にはならないぞと、本当にラクダに乗って砂漠に出かけてしまう。
ずっと砂漠を進むと、今度は雪の世界が待っていた。それでも王様は進む。
雪原に雪だるまたちが遊んでいるのを見つけて話を聞いてみると、氷原を三日三晩すすんだところに、本当ににイチゴ狩りのできる場所があるらしい。
このまま旅をつづけられては堪らないと、お伴の家来たちはこっそりと隊列を離れる。
王様が独りになったことに気づいて心細くなったところに出ていって、もう帰りましょうと説得するつもりだった。
王様は家来たちがいなくなっていることに気づいてラクダを返したけれど、めちゃくちゃに進むうちに自分がどこにいるかもわからなくなってしまった。
きらきらとまたたく星空を仰いでいると、ひとつの山の向こうだけがまぶしく輝きはじめた。
王様はなにか危険があるのではないかと思いながらもその光に向かって進んでいった。
はたしてそこでは、空からきらきらと降ってくる金色の星の子供たちが氷原の上の畑から本当にイチゴを摘んでいるところだった。
星の子たちが空に帰っていった後、王様が畑に駆け寄ってみると、イチゴはほとんど摘みつくされていたけれど、たったひとつだけ残っていた。
けれど、摘もうとしても、摘めない。
「それは星の子がつくったイチゴだから、人間には取れない」
とイチゴの番をしている小馬がやってきて言う。自分はゴールデン王だが、摘めないならここで食べてもよいかと尋ねる。
小馬は、あんたがうそつき国王か、食べてもいいけどうそをつけなくなるよ、笑った。
それは願ったりとぱくりと食べると、王様の体は光り輝き、そのままシューっとお城まで飛んで戻ってしまった。
それ以来、特に王様が心を入れ替えたとか、特別な変化はない。
ただ、うそや冗談を言おうとすると、お腹からジーンとベルのような音が鳴り響くようになった。それが王様のお腹から鳴っているとは、王様の他にはわからないけども。

「星のやつは、まじめすぎる。ユーモアがわからん。わしは、人間がいちばんすきじゃ。」
そして、くやしげにつけくわえられるのでした。
「もしわしがふだんもうちょっとまじめであったら、星の子のイチゴ畑の話も、まるごと信用してもらえたのじゃが。
「信用しておりますとも、王さま。」
と、けらいたちは、目のおくでわらいながら、うなずきあうのでした。
………………………………………………
12編中、唯一「クレヨン王国」の名前が出てくる。ゴールデン14世という王さまが登場しますが、
『花ウサギ』のワニエモンの壺の伝説に登場したのが18世だったことを考えると、そうとう古い王さまの話です。
寓話のようであるし、そこに寓意を読み取らなくても充分におもしろい。

 

 

「ブタ別荘」「ラッパふきのエンゼル」「ドングリのかくれんぼ」「水色の自転車」の四篇は、
ドングリの話はまだ教訓を引き出しやすいかもしれないが、
五作じいさんと玉光の関係について答えは出せるのか。
エンゼルはどちらかをきっぱり選ぶべきだったのか。
はたしてカレイは身の程知らずだったということになるのだろうか。
……やはりすっきりいかなくていろいろな含みが残る。
「解説」では宮崎氏が12編それぞれに、ちょっと大仰なんじゃないかというくらいの言葉遣いで丁寧に解説をしているので、本編一読後にはクールダウンのつもりでどうぞ。


クレヨン王国」はやっぱり『十二か月』が一番人気だし、
その他でもシルバー王妃たちの活躍するものが人気だけど、こういう短編集から入るのも悪くないなと思った。
クレヨン王国という場所は最後にしか出てこないし、ほとんどはふつうの人間の子どもや動植物たちの話だけれど、
なんといっても、クレヨン王国とは、わたしたちの世界とまったく別の離れた所にあるものではなく、すぐそこ、
というかわたしたちの世界もふくんだ世界のことなのだし。

 

 ↓はKindle版 

クレヨン王国いちご村 (講談社青い鳥文庫)

クレヨン王国いちご村 (講談社青い鳥文庫)

 

 こっちは新装版。

 

「週刊クレヨン王国」その2『クレヨン王国の花ウサギ』


講談社青い鳥文庫20-2
クレヨン王国の花ウサギ』著:福永令三、絵:
三木由記子、解説:宮崎芳彦

クレヨン王国の花ウサギ (講談社青い鳥文庫)

クレヨン王国の花ウサギ (講談社青い鳥文庫)

【概要】
1982年 青い鳥文庫 第1刷
1986年 児童文学創作シリーズとしてハードカバ ー版
2012年 新装版(絵:椎名優
2013年 kindle
(最初の単行本は未確認。)
(1985年に西川おさむ装画による講談社文庫版が 出ているようだが、こちらも未確認)

青い鳥文庫での通し番号としては20-2となってい るけど、本作はクレヨン王国シリーズの第3作に あたる。実際の2作めは20-4『クレヨン王国のパトロール 隊長』で、刊行順と文庫収録順がなぜか前後して いる。

 

【もくじ】
ちほとロペ
大じけん
日向山
ゆめのけしき
あくまのサメ
クレヨン王国
大会議
ヒキガエル校長
めぐりあい
水底の国
キリマンの森へ
川原のこんらん
白鼻のカモシカ
池の戦い


さて今回もだらだらと「クレヨン王国」の感想を話していきます。

今回のクレヨン王国つらいポイントは3つ。

①メインストーリー

②ワニエモン

③動物になったみんな

 

『花ウサギ』は、人間の開発による自然破壊が事件の発端となります。
主人公は小学4年生の女の子ちほとウサギのロペ 。

 

「あれ、シルバー王妃は?」という人もいると思います。
『十二か月』の主人公だったユカとシルバー王妃は、この話には出てきません。
というか、クレヨン王国シリーズを通してシルバー王妃が出てこない話のほうが多い。

 

Wikipedia記事にもありますが、

ja.wikipedia.org
クレヨン王国シリーズのストーリーには何種類か あって、

①「クレヨン王国に一般の少年少女が関わって成 長していく」
②「クレヨン王国の住人達が様々な冒険に巻き込 まれる」
③「寓話や童話が綴られる短編集」

初めのうちは①のパターン、次第に②のパターン が増えていく。①は一作ごとに登場人物がまった く違うことが多いが、シリーズ後半になると、①パターンでも②でお馴染みのクレヨン王国住民が出てくる、というハイブリッドが出てくる。③の 短編集はあまり多くない。


【あらすじ】
遠足にいった五年生の何人かと、校長先生がいなくなってしまった。そのなかには、ちほのお兄ちゃんもいる。
ちほはお兄ちゃんになついていたウサギのロペをつれて捜索にくわわるが、ロペが急に走り出し、 追いかけるうち、ちほはクレヨン王国に迷い込んでしまう。
実はロペは花ウサギという特別の存在で、今回の 事件は、浜辺の開発工事のためにうっかり封印が解けてしまった悪魔アオザメオニが校長先生たちを動物や虫に変えてしまったのだ、と教えてくれた。そしてアオザメオニを倒せるのは花ウサギだけ。
ちほ逹は、お兄ちゃんを助けるためアオザメオニを倒そうと決意する……。

 

これがメインストーリー。
典型的な魔王打倒物語、なんですが………どうもその、取り出せば単純な構造につめこまれたディテールが、挿し込まれるサブストーリーが、ひたすら重い。


①メインストーリー


とりあえず、まずはメインストーリーの詳細から行きましょう。


アオザメオニを倒す決意を胸にクレヨン王国の中央へ向かうちほとロペですが、クレヨン大臣たちの会議はまさにそのこと、アオザメオニを倒すべきかどうかで真っ二つに割れています。

なんで?
封印が解けた悪魔は、倒すか、また封印するかしかないのでは?

アオザメオニから
「地球の自然破壊をする人間は許せんので復讐するだけ。クレヨン王国には手は出さな
という手紙が届いたのです。

これを受け入れるかどうかで意見が分かれているのです。
「確かに人間の自然破壊はひどいし少し懲らしめられるべき派」と
「いやいや人間は素晴らしいし可哀想だよ派」です。
どっちにしてもクレヨン王国には手は出さないって言ってるし……。

なんとクレヨン王国の大臣会議は、人間を見捨てるほうに傾いているのです!
ちほはお兄ちゃんを助けようと決意してきたというのに!


構図は「ひどい悪魔からかわいそうな子どもたちを助ける」から、「ひどい悪魔と、もっとひどいかもしれない人間」という構図にうつっています。子どもたちが助けられるか否かはこれまでに人類の行ってきた事績によってはかられ、その判断は大臣たちによって政治的に決定されるのです。

えぇー……いや、悪魔を倒しに行きませんか。

なんとか、アオザメオニ捕獲のために軍隊が派遣されることが決まりました。
ロペはその最高司令官に任命され、一個中隊を率いることが認められます。
クレヨン王国陸軍第五師団第五連隊に属する第十九練兵場で最新式KO新型水陸両用戦車の操縦法 を習い、モンシロチョウ中隊3万3千人を受け取ると、さあ出発です。

………???????

陸軍?中隊?戦車??

これですよ。
クレヨン王国にはなぜか軍隊のでてくるエピソードが多く、しかも凝っている。福永先生が昭和3年生れであることも無関係ではないと思います。相手は悪魔なんだし、なんか魔法的なファンタジーな力で戦うんじゃないのかよと思わないでもな
いですが、クレヨン王国は軍隊で物事を解決しようという傾向にあります。


とにもかくにも、戦車と兵隊をうけとってちほとロペは進軍します。
このモンシロチョウ部隊、受け取った時点ではまだ卵。
アオザメオニ捕獲には花ウサギたちの力が必要で(ロペも花ウサギの子孫ですが力は失っています)、彼らがいるといわれる伝説のヤマボウシを探さね
ばならないのですが、ヤマボウシがある場所までは二ヶ月かかるらしく、
いま成虫の兵士を連れて行くとその頃には弱っているだろう、というわけで卵をもらうのです。
行軍の道々で兵士としての教育をしていけ、ということす。

で、卵から孵り、途中途中で文字通り「道草を食い」ながら青虫新兵たちは成長します。ところが急に元気がなくなり、じっと動かなくなってしまいます。ロペたちが悪い草でも食べたのかなと心配していると……

青虫たちの身体を食い破って出てくる寄生ハチの嵐!!!

えぐい!!!!!

部隊は大幅に戦力ダウンです。
っていうか目の前で青虫の身体食い破って出てくるハチの説明や描写が怖いです。

さらに困難を極めるのが、真っ二つに分かれたクレヨン大臣たちのことです。茶色の大臣や水色の大臣は、人間の自然破壊に怒っていて、助けることに反対していたため、
彼らに管轄下にある土や木や水や空は、ちほたちの味方をしてくれません。呼びかけてもだんまりです。
ちほは最新式戦車が木や草花たちをぎゃりぎゃり轢き潰してきたことに気づき、これでは協力してくれるわけがないと悟ります。
戦車を降りるのはいいけど、歩いて行っては時間がかかりすぎる。

 

ちほは、うなだれてしまいました。森の声は、ただのいじわるとはちがっていました。
そこには、あきらかな意志が語られていました。しかも、かれらが正しいのでした。ちほは、それをかんじました。はじめて、ちほは、自分が対面しているものが、どんなぬきさしのならない大きな重いもんだいかを、はっきりさとりました。
 ちほは、たった十さいの少女にすぎませんが、いま、人間のぜんぶの歴史をしょった代表として、この森にたいしているのでした。ちほは、ただおにいちゃんをかえしてほしいと、その一心だけでここまできたのでしたが、おにいちゃんがあんなに生きものをかわいがる子どもだったことも、自分なりにまちがったことはしないつもりで生きてきたことも、そんなことは、もんだいではないのでした。ちほは人間で、森は人間をきらっているのでした。

 

自然と人間の対立構造をこれでもかと突きつけられるわけです。
もうちほにはどうしようもなくない???
ちほはお兄ちゃんを助けたいだけなのに。


色々あって動物たちの力を借り、ヤマボウシのある場所までなんとかたどりつきます。
そこへ花ウサギを警戒してやってきたアオザメオニも現れ、いよいよ最終決戦です。
ここでも生き残っているモンシロチョウ部隊をほとんど全部オトリに使って犠牲にするなど、まあ、いろいろあるのですが、花ウサギの力でアオザメオニを再び封印することに成功します。
めでたしめでたし。


以上が、ちほとロペを中心としたストーリーです。


魔王打倒のストーリーに、人間の開発という名の自然破壊を批判するテーマを前面に推した物語です。

いや、あの、なぁ。
冒険の旅に困難はつきものだとは思いますが、困難のことごとくが敵であるアオザメオニによるものではなく、味方の側からなんですが……
・大臣会議で揉め
・青虫部隊は寄生ハチにやられ
・森や大地は人間の味方をしてくれず
まあ大臣会議にかんしては、アオザメオニによる揺さぶりではありますが……

クレヨン王国に行く以前の場面でも、
・最初は開発反対派が多かったが、浜を埋め立てた土地に小学校と新築すると聞くと、反対運動も尻すぼみになる
・学校の討論会では議員の息子が人間中心論をとても説得的に弁じて、自然擁護派のちほのお兄ちゃんと対立する
・浜辺がなくなって一番困るはずの漁師や漁協は、たんまり補償金がもらえるのでむしろいちばん乗り気
などの、なんともいえないエピソードが挿入されています。
殊に一番最後のものは、

「もう、海がくさってきたでな、ゆうべのばけもんみたいなものもでてくるて。」
ちほは、なんだかかなしくなりました。このきれいな海が、くさっているというのです。くさっているのは海ではなく、漁師たちのほうではないでしょうか。

と手厳しい。くさっているのは海ではなく、漁師たちのほうではないでしょうか…。

 

とはいえ、『花ウサギ』においてちほとロペの冒険はストーリー上の主筋にすぎません。
もちろん自然と人間のテーマは大事ですが、本作をさらに重くしているのが、冒険の合間に挿まれるふたつの挿話、すなわち数百年前アオザメオニを封印した伝説の陶芸師ワニエモンと、動物にかえられてしまったみんなのエピソード……


②ワニエモン

ワニエモンの逸話は、章でいうと「ゆめのけしき」にあたります。

かれは陶芸の名人で、良い土や薪がとれるキリマンフジという山の東の谷で動物たちと仲良く暮らしながら壺や器を作っていました。
そこにある日アオザメオニがやってきます。アオザメオニは動物たちに意地悪をして楽しみ、谷からはどんどん動物が逃げていきます。
ワニエモンの元にも、アオザメオニは現れます。蝿に変身してワニエモンの作る壺のなかに入り込み、内側から割ってしまうのです。やることの小っちぇえ悪魔です。
悪魔の力を抑えこめるほど美しい壺ならば封じられるのですが、なかなか上手くいきません。ワニエモンは超落ち込みます。

そんな折り、ミミズクが来て言いました。
「子どもがアオザメオニに耳を取られてフクロウにされてしまった。生きていく気力もない。そろそろわたしたちもこの土地を捨てようと思う」
ワニエモンは言います。
「わたしの耳をもっていきなさい。わたしの仕事に耳はいらない」
あるとき左目を矢で射られたカモが来ます。
「もともと右目が見えないのに、両方見えなくなってしまった」
ワニエモンは言います。
「きみが一つも持っていなくて、わたしがふたつ持っているなら、ひとつあげるのが友だちというもんだ」
あるとき腹を空かしたオオカミがきます。
「住んでいた動物たちがいなくなって餌がとれない。何か食うものをくれ」
「食べるものはない。わたしの左腕を食べなさい 。」

この時点でワニエモンは片目片腕です。
かなり鬱だし、死にたさが上がってきています。
もう死んでしまおうかと池に来たところに、クマが現れます。
「クマさん、わたしを食べて下さい」
「そのつもりで来たけどお前汚い格好だから嫌」

ワニエモンがいままでにあったことを話すと、クマはお前いい奴だなと泣き始め、もう一度池で自分の姿を見るといいと言って去ります。
そこで池に映ったのがヤマボウシ
このヤマボウシの美しい図柄を使うことでアオザメオニを封印することができたわけですが……いやもう壺とかどうでもいいよ!

生身でやるリアル「幸福の王子」は想像するだけでえぐいし、オオカミはワニエモンの腕食べたのか。マジで食べたのか。

この壺が、本作冒頭での
「浜辺の開発工事でアオザメオニの封印が解ける」
につながってくるわけですが、それまでにはもう一エピソード経なければなりません。

ワニエモンの壺(アオザメオニ封印済)は、あまりの美しさに国宝になり代々受け継がれます。
ところが癇癪持ちのゴールデン王様(『十二か月』のもっとずっと前の代のひと)がお追従ばかりの貴族にブチギレ、床に叩きつけて割ってしまいます。ワニエモンさん浮かばれない。

壺が割れたことでアオザメオニが復活してしまい、このとき力を借りたのが花ウサギ。花ウサギの力でなんとか事なきを得る。

このときアオザメオニが二度と目覚めないように海底に沈めることになったけれど、
それが人間の開発のためにまた封印が解けてしまった――というわけでようやく『花ウサギ』の冒頭につながるというわけです。

この挿話はロペからちほに説明されたものであるものの、まだ事態が何も飲み込めていないちほは、目前のアオザメオニと花ウサギのことしか聞き返しておらず、ワニエモンや王様についてはその後作中で触れられることは一切ない。

 

③動物になったみんな


その後が触れられないというと、動物になった子どもたちと校長先生も。
彼らには「ヒキガエル校長」や「川原のこんらん」で何度かスポットが当たる。
ヒキガエルとなった校長先生は、カエルの仲間たちを連れて産卵場所を目指して行進するが、以前はなかった、新しく開通したスカイライン(自動車道)を横切ろうとして、仲間が何匹もつぶされる。昨年まで産卵場所だった水たまりは干上がり、新しく見つけたところは洗剤まみれの汚水、その次は用水路で、すでに腹から卵をはみださせ
てひきずってるメスさえ、卵が流されることを恐れる。これだけでけっこう悲惨。
それでもなんとか水たまりを見つけると、ああやっぱりカエルでよかった、生れるならまたカエルが良い、と思うのでした……。


いやいやいやいや。
もう意識が完全にカエルになっちゃってますよ!
生れるならまたカエルが良いじゃなくて!もともとカエルに生まれてないから!しっかりして校長先生!

子どもたちのほうも、テントウムシやバッタやカワセミになりますが、人間のときは引っ込み思案だったり周りの目を気にしたりしてたけど、動物や虫になってから性格が変わった、明るくなった、磊落になった、楽しい、みたいに描かれており、そういえば校長は?という話題が出た時も
「もうじゅうぶん世の中のためにお尽くしになったんだから、どうなってもいいんじゃない?」
とかなりシニカルなセリフで笑いあいます。
この会話が、命かけてるカエル校長の次の章で展開されるんだからたまりません。
ちほのお兄ちゃんだけは、フナになっても人間の時の心を保って、ロペのことをずっと気にかけたり、他の動物や虫を助けてやったりして、その優しさが巡り巡ってちほたちを助ける動物たちにつながります。

ところで、動物はいいもんだワッハッハになってしまった校長や彼らも、おはなしの最後でアオザメオニが封印されたことで、人間に戻ったはずです。はず、というのは、明確に描写されず、封印したということはお兄ちゃんは人間に戻ったんだとい
うことがなんとなくちほにはわかった、と書かれる程度で終わるからですが。

校長先生や他の子どもたちも人間に戻っているはずだけど、そのとき彼らの意識はどうなるのだろう、と考えるとちょっとこわいものがあります。
単純に、やっぱり自然は大切だと擁護派になるでしょうか?
でも、なんとなく、動物のときの解放感や充実感から人間に戻ってきてしまうと、喪失感で立ち直れないんじゃないか、という気もします。
………っていうか被害にあったお前ら(とお兄ちゃん)を助けようとしてるのに、そのお前らがワッハッハしてたらお話の動機の部分が揺らいできちゃうだろ!とヒヤヒヤもします。

これは自然・動植物=善い、人間=悪いという単純な構図の強調ゆえの〈歪み〉なのか、それとも動植物になってさえ自儘な心になっているようではいけない、という素直な主張なのか。でも動物・虫になって感じる解放感や充実感は、はっきり良いもののように描かれていると思うし
………うーむ。

 

こうして今回十数年ぶりに読み返してみて、スレたオトナになってしまうと、いくら自然の描写が美しくてもそれだけで自然ってイイネとは必ずしもならないし、
こうしてだらだら感想をかきながら、つらいつらいと言い出してしまう、イカンなあとは思いつつ …でも、このつらさがまた楽しかったりするので……。
まだまだ残り50冊。つづけていこうと思います。

 

 

 Kindle

 

 こちらは新装版

 

 

「週刊クレヨン王国」その1『クレヨン王国の十二か月』

講談社青い鳥文庫20-1
クレヨン王国の十二か月』(著:福永令三、絵:三木由記子、解説:西沢正太郎)

クレヨン王国の十二か月 (講談社青い鳥文庫)

クレヨン王国の十二か月 (講談社青い鳥文庫)


どーも。
子供の頃に読んだ児童向けファンタジー小説
大人になったいま野暮な感想を述べていくブログです。

※以下は4年前に書いた文章です。


【概要】
1964年 第5回講談社児童文学新人賞を受賞
1980年 青い鳥文庫に収録
1986年 児童文学創作シリーズとしてハードカバー版
2006年 講談社文庫版、装画は杉田豊氏。
    (文庫版まえがきによれば1964年の単行本(著者は昭和四〇年としている)の装画も杉田氏だそうだが、こちらは確認できていない。)
2011年 椎名優のイラストによる新装版。
2013年 kindle


クレヨン王国」シリーズの記念すべき第一作
シリーズ中最も有名なのがこの『十二か月』でしょう。
何度も、幾つもの版で発行されてきているし、アニメ『夢のクレヨン王国』の主人公シルバー王女も本作のシルバー王妃から生まれています。

とりあえず「週刊クレヨン王国」としては、
青い鳥文庫の整理番号順に扱うので今回は80年版を取り上げる。
ちなみに、わたしが持っているのは95年3月の第45刷。

 

【もくじ】

ふしぎなおおみそか
雪だるまきょうそう
月りょこう
ホントザクラ
青井青太のこと
にげたこいのぼり
人形の町
森のまつり
空と海の旅
けちんぼ所長
だるまおやじ
まよい道
がいこつ島
お正月

 

【おはなし】

「よいかな、心をおちつけてきいてもらいたい。いまから十時間まえ、わがゴールデン王さまが、とつぜん、どこかへいってしまわれたのじゃ。つまり、家出をなすったのだ」

『十二か月』のストーリーをざっくりまとめると、

「小学二年生の女の子ユカが、シルバー王妃とともに、家出したゴールデン王を探して、クレヨン王国を旅する」となる。

「お遣い系」「宝探し」「往きて還る」「バディもの」で、
その旅の途中でクレヨン王国の12の町を12か月かけて巡ります。

 

王さまの家出の理由はシルバー王妃の12の欠点にあり、
・ちらかしぐせ
・おねぼう
・うそつき
・じまんや
・ほしがりぐせ
・へんしょく(偏食)
・いじっぱり
・げらげらわらいのすぐおこり(怒り)
・けちんぼ
・人のせいにする
・うたがいぐせ
・おけしょう三時間
これらが直らない限り王さまは帰ってこないと言っています。
ユカはその話を聞きながら自分にもそういうところがあるなぁと思ってしまいます。

 

そんな夫婦喧嘩、ほとぼりがさめるのを待てばいいのでは、という気もします。
ていうかユカちゃん関係なくない?


クレヨン王国のカメレオン総理大臣は言います。

「王さまがいなくなれば、わがクレヨン王国がどんなふうになるかは、みなもよく、しょうちのはずじゃ。王さまは、太陽じゃ。光じゃ。王さまをうしなえば、われわれはだんだん色をうしなって、つまり、世界は白黒の写真のように、かたちとかげだけになってしまう。赤いリンゴも、みどりの葉も、青い空も、もう二どと見ることができないんじゃ。そうなれば、もう、あくまの国じゃ。人間もほろびてしまう。地球も死んでしまう。」

はい。というわけで、一年以内に王さまを連れ戻さないと世界が滅びます。

 

………まってまって。

 

妻に愛想をつかした夫を連れ戻さないと世界が滅ぶ?
そんな世界の柱みたいな王様が、妻に愛想をつかしたくらいで逃げた?
どうなってるんだ、クレヨン王国………。
しかしなおのこと、ユカちゃんには背負える問題ではないのでは………


カメレオン総理は、王妃その人にゴールデン王の捜索と連れ戻すことをお願いする。
失踪した王さまの行方を、王妃に、探させる………?クレヨン王国………

さすがに一人で放り出すわけにはいかず、王妃の旅のお供をさがすことになります。
しかしみんな王妃の欠点をよく知ってるから。それぞれに悪口をいいながら嫌がる。

男が、女のあらさがしをするのは、どうやら人間もクレヨンも、ちっともかわらないようです。ユカは、つい、くすくすと、しのびわらいをもらしました。

この辺り(開始9頁)で、早くもコレほんとに子供向けなのか?と怪しくなってきますが、さておき。

そんなこんなで、ユカはシルバー王妃に旅のお供として選ばれました。
どういう理由だったのかはよくわからないし、シルバー王妃がどうやってユカを見つけ出したのかもよくわかりません。とにかく選ばれました。
王妃は正体がバレたらまずいので自分のことは「マリ姉さん」と呼ばせます。


12の町にはそれぞれ、1月の町は白、2月の町は黄色と決まった色があり、
その色の服に着替えないと入れてもらえない決まりになっています。
旅行かばんに色とりどりの服や靴を12ヶ月分詰め込み(ファンタジーなので余裕です)、
こうしてユカとシルバー王妃のゴールデン王さまを探す一年の旅がはじまります――。

 

というわけで。

長くなりましたが、ここまでが導入。
12の町を12ヶ月かけて巡るうちに、12の欠点によって引き起こされる事件や騒動を解決しながら、反省してそれぞれの欠点を直していくのです。

クレヨン王国の住人は、クレヨン以外にも動物や植物、食べ物、折り鶴、雷などいろいろ。とてもファンシーで、いかにもファンタジーという感じがして楽しいですね。
それがまったくの別世界ではなく、わたしたちの世界とつながっているというので
不思議さのなかにも親近感がわいてくる。

 

ただその騒動というのが、ちょっとじゃないレベルで物騒なのがクレヨン王国

  • おなかを壊した蟻たちに胃薬を渡したつもりが殺虫剤をわたして大虐殺「銀髪の女をころせ!」とデモされ
  • 遠い異国からやってきた折り鶴たちがユカたちも目の前で力尽きて大量に死に
  • フラミンゴの兵隊が嘘つき鳥に騙されてサメの只中に放り込まれ、翼折れ片足もがれ血を流し295羽が死に
  • 幼女誘拐した鯉のぼりが警察から見つけしだい射殺してよいと言われ
  • 「王妃をころせ!」という映画のポスターを、自分が死ねば王さまが帰ってくると考えたカメレオン総理の策略だと疑い
  • 刑務所にぶちこまれ
  • 火事の濡れ衣を着せられ
  • がいこつに食われそうになったり。

クレヨン王国、サツバツとしすぎている。
ていうかシルバー王妃、本当に国民に顔知られていないんですね…。「マリ姉さん」という偽名だけで簡単に騙し通せるほどに。
クレヨン王国には新聞もテレビもあるのに。

 

いくらドタバタ珍道中といったって、「ドタバタ」の部分が物騒すぎるし「死」にまみれすぎている。
そういうのは作品のなかでは重要なところではないと思うけど、大きくなってから読み返してみるとやっぱり目につく。
もちろん大人向けの文芸作品とちがって、その死が重い意味を持ったりはしないけど、
それだけにホイホイ死んでいくので「ほんとうは怖いクレヨン王国」とでも言いたくなる。


とまぁ、そんなこんなをしながらもいろんな危機を乗り越え、
最後にはゴールデン王を見つけ、ユカとシルバー王妃の旅は終わる。
ユカがシルバー王妃にお別れをいうと、王妃は
「なぜ、さよならなんていうの。あたしたちは、これからも、毎日会えるのに」
と答える。

目を覚ますとユカは元いた布団のなか。
旅の始まりは大晦日の夜だったけど、起きたらお正月、1月1日だった。
一年の旅は、じつはたった一晩の夢だった。

 でも考えてみれば、それも、ふしぎではないかもしれません。だって、ゆうべ、ねたときはきょねんで、おきてみると、もうことしなのです。一年がすぎたのです。
 一年のゆめを一ばんで見たのがふしぎなら、一ばんのうちに、一年すぎてしまったことのほうも、おなじくらい、ふしぎではないでしょうか。

そうしてユカは初日の出を写生にでかけます。そもそも12色のクレヨンはそのために枕元に用意したのでした。
日が昇ってきて、少しずつ空や海や山の色が変わっていくのを見て、ユカはシルバー王妃の言葉の意味をさとります。

 

 色が、おきてくるのです。
 かくれていたところから、でてくるのです。そして、木の芽のように、ぐんぐん、そだつのです。

 

ありとあらゆる色たちが、――おはよう、ユカちゃん――といって、むくむくと、おきてくるのです。

 

なんだか、世界じゅうが、よくしっている友だちのように思えてきました。

 

色とりどりの動物や植物の世界を旅してきたユカには、どの色も、どの動物も植物も風景も、初日の出の光に照らされて色づいていく世界は、すでによく知っている友だちになっているのです。

この終章はとても清々しく、美しく、素晴らしいと思う。
世界の生を肯定する輝きに満ちている。
クレヨン王国シリーズは、福永先生の自然愛好から動植物の世界に寄り添うあまり、
しばしば人間の文明を一方的に批判することもある。
『十二か月』の終章はそこまではいかず、目に映る色づいた世界すべてを受け入れているところで締めている。

 

できるだけ多くの人に読んでもらいたい。

紙書籍が億劫というひとはkindle版もあるのでそちらをおすすめしたい。

 こちらは新装版。

 

「週刊クレヨン王国」創刊準備のおしらせ

 

といってもべつに雑誌を出すわけじゃないです。

単にぼくが「クレヨン王国」シリーズの読書感想を書いていきます。
※ちなみにこの文章は2015/2/10にはてなダイアリーで書いたものだけど
3回坊主で4年にわたって放置していたので、これを機に再開したいと思う。

 

そもそもこんなことを思い立ったのは、ふと本棚を整理していたら
講談社青い鳥文庫での福永令三先生作品の通し番号が
『新装版クレヨン王国いちご村』で52になっていることに気づいて、
ああこれ週一ペースで読むとちょうど一年だなと思ったというそれだけのことで。
(そのあと『黒の銀行』と『ゆめ列車』の新装版も出た)

 
小学生の頃ハマって読んでいたけど、
あれからずいぶん経って、忘れてしまっていることも多い。
むしろ覚えていることのほうが少ないかもしれない。

クレヨン王国」が好きだという気持ちはずっと残ってたし、
だから本棚にもずっと残していたし、折にふれては人に薦めもしていたのだけど、
ひとに薦めておいて自分が忘れてるんじゃ話にならないなと思って再読を思い立った。
せっかく再読するなら内容や感想も記録しておこうか、ということで。


クレヨン王国」シリーズといえば
クレヨンたちが世界中の色をつかさどったり、動物や植物は言葉を話すし、
ファンシーで優等生的な児童向けファンタジーと捉えられることが多いように思う。
確かにそういう面もある。
でも、ぼくがひとに話すときは「本当は怖いクレヨン王国」という体で話すことが多い。
児童文学や絵本や幼年向けアニメの内容が、あらためて大人の目線からみると驚くようなものであることは珍しくないけど、
クレヨン王国もけっして可愛らしいばかりでないし、「優等生」的とはいえない部分がある。

たとえばクレヨン王国には軍隊がよく登場する。
何か問題が起きたとき、まず軍隊を送り込んで解決しようとする傾向がある。
軍といっても騎士とか近衛兵とかみたいなファンタジーっぽい作品によくあるものではない。「新型戦車」とか「爆弾」とかである。
また、クレヨン王国では頻繁にひとが死ぬ。
「ひと」といっても人間だけでなく、動物の兵隊だったり、折り鶴だったりするけど。
それにしても驚くほどあっさり死が登場する。

そういう、大人になってしまった者からはちょっとびっくりするような箇所を取っ掛かりに、
子供の頃には気づかず取りこぼしてしまっていたことを読み直していきたい。


「週刊」と冠しつつほんとに週一ペースで更新できる自信は到底ないけれど、
とりあえずはじめてみようと思う。

 

それでは改めてよろしくおねがいします。

 

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